能力として「出来ること」
=○○することが出来る
ぱっと浮かぶのは能力値として
→100メートルを○秒で(早く)走ることができる
→プログラミングをすることが出来る
ここが求められがち、そして目指しがち。
それで出来るようになることは素晴らしいこと。できるなら。
ところが、これはどうだろう
→7秒ごとにピースをし続ける
“能力”としては出来る人が多いのじゃないか
指があって、時間(秒)という概念が理解できる人なら、大体が「出来る」
→でも、これって、
7秒ごとにピースをず~~っとし、続けられない。。
理由はいろいろ
・意味がないから
・しんどい
・なんとかかんとかいろいろ
自分がずっとすることが『できる』事
≒し、続けることが『できること』
大好きで毎日でも苦痛じゃないこと
→“筋トレ好きにとっての”筋トレ(ダイエットのためとか嫌々するパターンじゃなくて好きでやってる人)
→本を読むのがとにかく好き
→お笑い怪獣のように苦痛なくず~っとしゃべり続けられる
→喋るのは苦手だけど文章を書くのはどれだけでも書ける
と、まぁなにかに繋がりそうなことから浮かんでくるけど
自分に俗にいう“まともな”ものが浮かばなかったとしても、
→毎日スマホゲームにログインする
→毎日ユーチューブの動画見る
→永遠に漫画読み続ける、ゲームし続ける
⇒必ず二度寝する(ゴロゴロする)
(寝続けながら配信で生活してる天才もいるよね)
っていう程度のところから
自分が し、続けられること 『できる事』に目を向ける
その多くが
親から怒られる事、だったり、他人から直せと指摘される事
だったりするのかもしれない
一度「ジャッジメント」をなくして
シンプルに“し、続けられること”を見つけてみるのが始まり
コレをどうするか
自分が「し、続けられること」(できる事)の
“キャッシュポイント”を見つける
という方向の方が、今の時代にはマッチしてる
これまで
決まっている「正しいとされる事」を「出来る」ように頑張る
これから
自分の「し、続けられる」『できる事』をキャッシュにしていく
配信もあるし、クラファンもあるし、
そんな足元を見るものじゃなく、もっと先もある。
自分のしたいことを実現するために実際にある
とんでもないエピソードも世の中にはある。
機会があればそんな話もいずれかしよう。
まずは自分の『できる事』に目を向けたい。
コメント